本書は、おこわ交換のならわしを記録しています。日々の生活から郷土に人が慣れていくことを切り口に、郷土と人の関係に関心を持って「食べる」や「手仕事」を書いています。

そして2025年版の、その関係を結ぶ手法に「料理」がなっていくと考える本の序論でもあります。

2024「郷土と人の混ざりあい」

「美味しい」を評価語から引き剥がして、郷土に入る技法の指標に置き換えています。「うまい」は舌の中にあるのではなく、採集・仕分け・保存・調理・行事・労働・気候・土・流通…の配置のなかで、ある瞬間に立ち上がる“反応の成功”として現れる。

1) 「くるみ味」=味覚ではなく、共有された中心の言葉

岩手沿岸の「くるみ味がする」は、単なるフレーバー記述というより、“こっくりして脂が乗ったもの=うまい”という判断の中心が、共同体の側に置かれていることを示す語に見えます。ここで中心は「舌」ではなく、土地の反復(胡桃料理の多さ)と語の共有に移っています。

2) 「郷土」と「地域」:境界の明確化が奪うもの/与えるもの

あなたが広辞苑1955を引いて「郷土」を確認するところ、すでに“中心性の争い”があります。

3) 「お焚き上げのおこわ」:郷土料理が“同じ味になる”事件

最上町の小正月行事で、8軒の味がほぼ同じだった。ここが重要な転換点です。

なぜならここで起きているのは「伝統の保持」ではなく、郷土の更新の仕方が、商業調味料によって平準化されるという出来事。

ここで中心は、山でも畑でも家でもなく、流通に接続された調味料=外部の標準へと移動しています。「椎茸農家がいるのに干し椎茸出汁にしない」ことに引っかかるのは、効率批判ではなく、郷土が郷土であるための“差異の生成”が起きていない

4) 料理人の専門性:技術が中心になると食材は“切り離される”

飲食店時代のあなたは、コンフィやスチコンなど技術を獲得し、特別な料理を作っていた。

ここでの世界は、「畑→食卓」ではなく、**“技術→料理→価値”**で回っている。