ここ数年、美味しい料理ができるまでを考えてきま した。そして、誰もが美味しいと感じる味覚の共通 項を発見することはできなかったですが、その過程 で「美味しい」がつくられる要素があるのではない かと、考えるようになりました。 それは岩手県の「くるみ味がする」という美味しい を意味する方言があったからです。ある文献の郷土 料理の聞き書きの中で、くるみ味という表現がある ことが紹介されていました。岩手県の沿岸地域では 魚でも、脂が乗ってこっくりした味のものを食べた 時にはこう表現するようです。その文献を読んでい ると、その郷土では胡桃を使った料理が多い事がわ かります。 それに加えて「くるみ味がする」料理を食べたとき の表現として、その一帯の人々に「美味しい」の言 葉のイメージとして共有されている事が私は驚きで した。 くるみ味という言葉の背景は、通常は味の表現に使 用されているのですが、それ以外にも、私は岩手県の郷土では胡桃を巡る暮らしの出来事に、人々の思 い出が残っているのではないかと考えています。そ ういった身の回りの環境によって、そのイメージを 共有する手段として冠婚葬祭や、年中行事にしろ民 俗的な慣習に登場する料理から、私は「郷土料理」 の総体のイメージを捉えています。 まず「郷土」は1955年の広辞苑では、故郷、田舎、 村と記載されています。元々の語源は漢語であり、 生まれ育った土地を指します。これは明治期に農が 科学的技術によって大量生産へ向かう最中に出来上 がった比較的新しい言葉です。しかし、郷土の言葉 は曖昧な概念であり、その代わりに「地域」という 言葉に置き換えられてきました。「地域」という言 葉は行政区画で境界が決まっていて明確な言葉です。 私は山形県最上町の山や畑から、集落の生態や農家 の家庭料理を、現地に入って集落の人々と一緒に働 いたり、小正月の行事で、前年にお世話になった御 神札や御守り、または正月飾りをお焚き上げし感謝 する場を共にして、その出来事を追体験を通して記 録しながら美味しい料理を検討しています。 特に印象的だったのが、この年中行事のお焚き上げ の際に、各家ごとに持ってくる「おこわ」でした。 私の郷土のお焚き上げは通称「もらいっこもらいっ こ」とも言い、おこわを持ち寄ってお地蔵様にお供 えし、子供がいれば手のひらに渡して食べさせ、残 りは、持って来た家同士で分け合って帰ってから食 べる風習が残っています。 そもそもおこわとは、餅米を蒸した飯のことを言い ます。ここで作られるおこわは、一晩水につけた餅 米を蒸して、鶏肉、筍、椎茸、人参、油揚げを甘辛 く味付けをして混ぜた五目ご飯です。 2024年は集落にある10軒ほどの家から20名ほどが参 加しました。その内、おこわを持ってきたのは8軒 です。分け合って持ち帰った各家のを食べてみまし たが、味に違いはほとんどありませんでした。全て 山形県の近代に登場した商業商品としての県民的調 味料である味道楽という出汁醤油の味でした。それは母も同様です。具材の違いも栗が入っている家が 2軒ある程度で、示し合わせたかのように同じおこ わとなっていました。 このように、 出汁一つとってみても鰹節や昆布を一 晩つけて用意するのではないのが分かります。しか も、周りに椎茸農家がいるので、椎茸で干して出汁 をとっても良いと思いますが、椎茸がこの時期手に 入りやすい食材でなので、具材に入れる以外にも、 干すことで風味の変化から出汁に使用したら、より 郷土料理っぽさが増すと思うのですが、手間を省く ことに商業的調味料が役割を果たして郷土料理の要 素に入り込んでいるようです。 年中行事以外にも郷土料理は、その他の特別な日に 食べるレストランの料理に置き換わることもありま す。その時、年中行事のような日に作る料理を、常 に用意するような料理人は特別な日が毎日続き、そ のための技術として専門性を身につける事ができま す。技術が身につけばその技術を活かす食材を考え るようになります。少なくても飲食店を営んでいた 頃の私はそうでした。 例えば、スチームコンベクションオーブンという蒸 しながら焼くという機械が厨房にあって、コンフィ という油で煮る調理法を活用していた頃は、猪ロー スや秋刀魚、牛蒡をローズマリーやローリエ、少し のスパイスを油に加えて煮ていました。 このコンフィの語源は、フランス語のコンフィルと 言います。日本語だと保存するという意味です。低 温の油で煮てそのまま漬けておいて保存する方法だ ったのですが、低温で均等に中まで火を通すこと で、肉質が硬くならず仕上がる調理法として料理雑 誌に作り方が掲載されていたので、その通りに作っ て機械の使い方を身につけました。そうすると家で 作られない特別な料理が出来上がるような気がして いました。 専門職としての料理人は料理する技術に特化してい きます。そして食材は身近な農家の方から直接購入 したり、産直や業者を通して仕入れていました。し かし、その食材の元を辿れば郷土料理と同じように畑で出来たモノです。この時、私は郷土から切り離 された食材を使っていました。 しかし、この時は切り離された食材という認識はな く、食材のポテンシャルを料理人として、どのよう な技術を使って引き出すのかばかりを考えていまし た。そんな飲食店でも、野菜を畑から考えてみる 「farm to table」という「畑から食卓へ」のスロー ガンがあります。 「farm to table」は、1970年以降に西アメリカから 社会に実装されました。日本では2010年ごろに地産 地消という言葉とともに広がり、この地産地消とい う生産と消費行動のスローガンが飲食店に普及して いきます。 当時のアメリカは産業革命以降、蒸気機関の輸送交 通網を配備するために、現地にいたインディアンた ちの土地を開拓し、そこにいるバッファローなども 乱獲し根絶やしにしていきました。加えて、缶詰な どの長期保存が可能になった工業生産的食の時代背 景があり、そのカウンターパンチとしての社会運動でした。これが「farm to table」という言葉を浸透 させたアリス・ウォータースというスローフードレ ストランの創設者の、農業から食卓へという考えの 時代背景です。 スローフードは、1980年代以降にヨーロッパを中心 に、個人に切り分けられてしまう資本主義に対し て、元々は、仲間から買うことで共同体の体系を繋 ぎ止める行動でした。そこから立ち現れた生産者か ら直接購入することができるファーマーズマーケッ トという媒体が、やがて経済と合わさって共同体か ら買うという、消費社会の態度としてのスローガン へ変化していきました。 この「farm to table」の「畑から食卓へ」の背景に は、野菜を少しでも大きく収穫できるように期待し て手を加える農作業があって、その中で野菜が発芽 したら「間引き」という作業の段階があります。間 引きとは、野菜の生育状態を管理するために野菜同 士の間隔を一定距離空けることです。台所の調理作 業は畑へと延長され、野菜の間引きという仕分け作業が台所から見てみると、調理工程としての側面を のぞかせます。 この時の「間引き」が「farm to table」のスローガ ンを表しているなと思います。それは、飲食店が必 要な食材を考えるときは「食卓から畑へ」から考え ることが多いように、属している場によって物を立 ち上げていく方向が違うことが分かります。そし て、畑の上で間引きをした後の未成長の野菜には、 食べられる部分の仕分けと、その時に食べきれなけ れば保存という作業の続きがあります。それが「畑 から食卓へ」という立ち位置を与えてくれます。 そもそも台所作業の料理は、食材を消化しやすいよ うに手を加えることです。手を加えることが不自由 だったはるか昔は、消化のために身体を休ませる必 要がありました。食べたら眠くなるみたいなことで す。動けなくなる消化の時間を、火を使ったり発酵 させたり、叩いて細かくする技術を発達させて、身 体の内側の役割を外部化することで短縮できるよう にしてきました。これはいつの間にか採集、収穫の時間すらも短縮していくようにエスカレートさせた 先の現代では、できあがった食材を買うようになり ました。 「間引き」した野菜が市場の流通にのることは、野 菜の規格外のためにほとんどありません。しかし、 このような農作業の中で市場では値がつかないが、 食材になるモノをどのように扱っていくことが、郷 土に入り込んでいくには必要な要素になるように思 います。このように、消費経済に根付いている飲食 店の態度である「farm to table」という言葉に近い ものには、日本の「おふくろの味」という言葉があ ります。 おふくろの味は、1960年ごろに料理研究家の土井勝 氏が使い始めた言葉です。その背景には日本の農村 における労働環境がありました。冬の農閑期に都会 へ出稼ぎをしに行き、飯場という現場労働と生活管 理を含めた、共同する場所に寝泊まりしながら土建 業に従事し、高度成長を下支えしていた人々の郷土 を想う心情の味をラベル付けした言葉です。 つまり、ここまで見てきた「郷土」という言葉は、 地域に住まう人だけではない動植物や、それらを配 分する「おふくろの味」や「郷土料理」に象徴され るように、郷土のネットワークは経済に絡まり合っ ています。これらは、曖昧な郷土を外部に対して価 値を提供する際に分かりやすい形として届けられて います。 しかし、私の母の「美味しい」は、山菜を採りに行 くところから始まります。山菜の採集は、春に集落 の婆さんや爺さんが自分達だけの採集場所を持って いて、家と往復して身体を慣らします。慣らすこと で身体が動き始めます。そうして動いていると、健 康寿命までも伸びているようです。茶飲みの席で は、年取っても畑に出た方が良いと言います。草む しりもしなくなると腰が悪くなって寝たきりになる そうです。 冬、雪に埋もれたフキノトウと共に、道に出て庭の 雪仕舞いをしまいながら、近所の人たちは山菜の採 りごろの会話をします。4月の中旬から、コシアブ ラ、ウルイ、タラノメ、ヤマニンジン、ワラビ、ヒロコ、ゼンマイ、コゴミ、ウド、アイコ、クロモジの 若葉等が出始め、採ってきた山菜で台所はその仕分 けに追われます。農家の山菜採りは農業の始まる前 の貴重な資金源でもありますが、それ以上に、冬の 鈍った身体を動かす気持ちのいい作業でもあり、山 や畑のサイクルに慣らす期間でもあるようです。 仕分けでは、食べられない部分はスジっぽい箇所に あたります。特に山菜のミズは表皮を取り除くため に、茎をポキっと折って残る表皮部分をスーっと剥 いていく仕分けをします。表皮の除いて残った根元 の方は叩くとネバネバします。出汁醤油を加えてか き混ぜるとそのネバネバに出汁の旨味が絡まって、 ミズのたたきという料理ができます。 保存は採集した量が多い時に、食べる時期を延ばす 方法です。ゼンマイは春に大量に採れます。大量に 取れるということは山以外に他から貰う事もあり、 食べ切ることに困ります。なので余ったゼンマイは 揉みながら天日に干すことで、しわくちゃになり食 感も良くなり保存されています。 さらに、春の山菜の期間を過ぎ、身体が畑のサイク ルに順応すれば、アスパラガスの生育に必要な設備 の準備を施し、秋までの収穫に備えます。 この時期、食卓も春の山菜料理で山の活力を吸収し 終わります。それは、季節の移り変わりで冬の冬眠 から春の暖かな陽気に熊が目を覚ますように、外か らの作用によって、スイッチが入り身体が反応する ことです。 そんなように、私はアスパラガスの収穫と共にアス パラガスを食べる生活へと変わっていきその生活の サイクルへと移り変わっていきます。 例えば、身体を順応させるために昼食が変化しま す。冬の白米と乾物や雪の下で保存している白菜な どを使う煮込み料理から、晩春以降は麺と収穫した てのナスなどの夏野菜を中心とした料理になりま す。それは調理時間の短縮を表しています。1日の時 間配分で考えると、この晩春ごろから、家の滞在時 間が大幅に減り、畑の滞在時間が長くなります。畑 の役割は、秋と冬が台所の保存庫として機能していた畑が、春と夏では台所の調理作業の延長としての 農作業へと1日の大半をしめるようになります。 アスパラガス農家として慣行農業でおこなっている 農作業では、春から初秋に毎日、土から出てくるア スパラガスを収穫します。収穫する期間には嵐で も、畑に2時間出て急いで収穫して小屋で選別作業 を終わらせることがあります。嵐の中で強く打ちつ ける雨に打たれながら作業するのは嫌ですが、郷土 の環境に順応しなければならないので、身体を無理矢 理にでも慣れていくことで気にならなくなります。 私は年間の殆どをアスパラガスと共に暮らしていま す。そのため私の郷土は、アスパラガスを軸に流れ ています。その中では、気候によってアスパラガス の食味が変化することで調理法を変えることがあり ます。春の時期は、昼夜の寒暖差が大きいので身が 締まって瑞々しいものができ、夏の暑い時期はぐん ぐんと成長するために、細胞同士が離れて味が染み 込みやすいものができます。この間に余ったアスパラガスは塩蔵にしておいて冬に使用します。その時 々で調理法や食法を変えながら、アスパラガスを収 穫するための身体をつくっていきます。それにアス パラガスがある畑の土は、堆肥やそれ以外にも手を 加えることで変化しています。 畑以外にも、山に行って山菜やキノコを採集してみ たり葬式に参列したりして、その場その場に、おこ ないの跡が残っていきます。 私が集落の出来事に対して行うようなことが、畑の 野菜からもみてとれます。例えば、来年植えるため の種は、収穫できる野菜だったものを意図的に残し ておきます。それ以外にも、ほっといておいた野菜 の残骸は、畑の隅で気候が変化し暖かくなることで 種が発芽する条件が整い芽が出てきます。そうした ことによって畑の要素の中で、種が自ずと行動する ようになります。 そういった自分を取り巻く環境によって反応してい くことが、郷土に慣れるということです。

このように、郷土に身体を慣らすことによって、それは属している場に対して反応していくこととなり ます。つまり、農作業やそこで採れる食材を食べた り身体を慣らすことによって、結果として郷土に入 り込んでいるようなことです。それは、狩猟採集民 のように、採集して料理することが人の集団をその 植物の生態の周期に溶け込ませる手段だったように 考えています。 食べるの構成要素を分解すると、採集、解体、保 存、調理、食卓になり、これを私は農家の作業がひ と段落する冬の期間に手伝いに出向く間柄で、印刷 業を営む友人と検討してきました。それは食べる行 為が、何を意味するのかでもあるように思います。 最初、山に採集しに連れて行ったもらった時に、何 が食べれるモノで、何が食べられないモノか、知識 が無いから分からないという疑問に「食べれないも のは口で咀嚼して飲み込めなければ吐き出せばい い、それが食べられないものだ。」という友人の言 葉は、2つの気付きを与えてくます。 1つは、身体を郷土に徐々に慣らしていくことであり、もう1つは、知識は行為の後についてくるもの だと分からせてくれる経験です。そこから、郷土に 暮らして食べる行為から読み解く参与観察へと、さ らに進むことになります。 そして、おこないの跡が残っていくことで、郷土に 慣れる私を切り取ることができますが、この切り取 りという出来事を郷土に対しておこなうと、それは 経済へ配分され固有性を分かりやすくするために、 ラベル付されて提供されていきます。つまり、郷土 という全体だったものが、それは部分なのだと小さ くされているように思います。これが経済に配分を していくことで、お金を得る代わりに支払わされて いる対価です。 なので、郷土の一体化へ慣れていくこととは、違い があります。郷土に入っていくことで人が慣れてい き、そうすることで郷土も変化します。その慣れよ うとする技法の一つ一つが食べるの構成要素として あり、それが郷土の料理に姿を変えながら更新し、 残っていけば良いと考えています。